横浜ライフコーチング

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代価を払うことで、報われない苦労や努力が消えていく話

街で清掃をする人の写真

こんにちは、松江よしひこです。

昨日は、エアコンが全く効かない室内で激しい運動を約2時間敢行。

そんな危険行為をしたおかげで、今日はダルいどころかさらにパワーアップした感じです。

正直なところ、すでに夏バテ気味の生活です。

けれども、それを認めたら更にバテそうな気がします。

昔、真冬に気功師の方に言われました。

「寒いと思うから寒いんだよ」と。

暑いと思うから暑い。

人生も熱いと思えば熱くなる。

ちなみに、英語ではHotもCoolも褒め言葉として使えます。

 

さて今回は、「努力も苦労も報われない本当の理由」についてです。

 

あなたが過去にしてきた努力や苦労は、いま報われているでしょうか?

私の場合、報われたといえば報われた。

報われていないといえば報われていないといった感じです。

 

私は20代の頃、地元の居酒屋で長い間働いていました。

いま考えれば、なんであんな仕事していたんだろうと思います。

年末はほぼ休みなし。

体調が悪くても休めない。

客商売なので、クレームがない日なんてありません。

お客さまの吐瀉物を処理しても、誰からも感謝の言葉をもらえません。

しかも、料理人は曲者ばかり。

毎日、怒号が飛び交う世界です。

 

仕事に関しては、20代のいい思い出は全くありません。

けれども、いまはとてもハッピーです。

ハッピーと言い切れるのにも根拠があります。

その根拠とは「支払った代価」にあります。

冬山登山をする人たちの写真

「代価を払う」という概念があなたに希望を与える

ものを買う時にはお金が必要です。

これは当然のことです。

では、幸せや未来といった形のないものを手に入れるのに、お金は必要なのでしょうか?

 

ブルース・スプリングスティーンというロック歌手をご存知ですか?

アメリカではボスと言われている大御所です。

知名度は日本人で例えると、矢沢永吉さんくらい、いやもっとかもしれません。

私は硬派なミュージシャンが好きだったので、10代の頃からよく聴いていました。

 

ブルーカラーに人気のあるミュージシャンなのですが、曲の中によく「Price」という単語が出てきます。

Price You Gotta Pay (あなたが支払うべき代価)みたいな感じです。

その「代価」という言葉。

特に欧米では、何かを得るためには、それ相当の何かを支払うという考えがあります。

日本人には「犠牲を払う」という言葉の方がピンとくるのかもしれません。

 

上にも書きましたが、私の20代は仕事に関していい思い出がありません。

というか、思い出したくないことばかりです。

けれども、プライベートではかなり自己投資をしてきました。

多分、仕事で満足感がなかった分を何かで埋めたかったのでしょう。

 

休みが取れれば海外へ一人旅。

インテリアデザインの勉強。

仕事と並行して格闘技の練習。

時間があれば読書。

などなど。

結構、自分を追い込むことばかりしていましたが、今のバックボーンとなっているものは、ほとんどあの時に得たような気がします。

 

そして今だから言えること。

それは、あの仕事をしていなければ今の自分はない、ということです。

もし、仕事が充実していたら、全く違う人生を歩んでいた可能性もあります。

 

何かを得たいから自己投資をしていた。

つまり、それが「代価」だったのです。

 

代価を払う相手は自分自身。

だから、代価を払うという行為は、自分との契約ではないかと考えています。

講演会会場の写真

いまがハッピーな人しか、美談は語れないという事実

「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。

本当にそうでしょうか?

私は、ゴールは最短で達成しようとしない限り、脳はフル稼働しないし、エネルギーも生まれない、と考えています。

 

明確なゴールがあれば、たとえいい経験になりそうなことでも、寄り道はしないほうが無難です。

ゴール目前なのに、寄り道する途中でアクシデントに巻き込まれる可能性だってあるのです。

代価を払う相手はあくまでも自分です。

 

よく、起業して成功した元コギャル、ヤンキーから教師になった人、極道の世界から足を洗って牧師になった人、みたいに過去を売り物にした人がいつの時代にも現れます。

売り物になるのだから仕方がないのかもしれません。

 

けれども、ハッキリ言えること。

それは、

まともになれた今があるから、過去を語れるのです。

 

過去をそのまま引きずる人もいます。

過去に潰された人もいます。

過去に存在した他人に夢を消された人もいます。

つまり、過去のサバイバルは未来を保証するとは限りません。

 

いま、ハッピーでない人は買ってでも苦労や努力をする必要はないと思います。

ゴール側の自分に必要なものに対して「代価」を払うことの方がもっと大切です。

ベンチで振り向く女性の写真

まずは視点の高さを上げてみる

そうすれば、払うべき代価は自然と見えてくる

コーチングではゴールは絶えず更新していくものと考えます。

アメリカでは、仕事をリタイアした後の平均余命は18か月という調査報告があるくらいです。

ゴールを失うと人の脳は自ら未来を捨ててしまうのです。

だから過去を振り返るのは、人生の本当に最後だけでいいと思います。

 

努力や苦労を語れるのは過去を振り返った人間だけです。

未来に向かっている途中で「報われた!」と思えるのは、上の調査報告の事例にもあるようにかえって危険です。

 

あなたが「なんで私の努力と苦労は報われないの?」と思ったら、必ずゴールの再確認をしてください。

多分、ゴールに関係のないことに力を注いでいる可能性があります。

真のゴールとは、他人が追いつけないところに存在するものです。

あなただけの価値観で作り上げるものだから、人に見えるはずもありません。

もし、「報われた!」と思っても、その報われた基準さえも他人の価値観で作り上げられた可能性があります。

四つ葉のクローバーと自分へ宛てた手紙の写真

おわりに。

努力も苦労も報われるのであれば、誰だって喜んですると思います。

けれども、努力や苦労に形はありません。

だから他人はそれに報酬を払えません。

形のないものに報酬を与えるのは結局自分自身なのです。

 

私はコーチなので、「Have to(〜しなければならない)」の意味を含んだ言葉は使わないようにアドバイスしています。

その代表格が「努力」や「苦労」といった言葉です。

ゴールに対する代価も渋々ではなく、喜んで払うのが理想です。

 

我々は人として生きている以上、苦しいこともあります。

だから、ゴールに向かって骨を折ることをするのは、決して否定はしません。

なぜなら、それは自分への奉仕だからです。

自分への奉仕、そして他人に対する無償の愛。

それに見返りを求める方がおかしいのです。

 

自分の現状に満足できない人も、絶対に悲観的にならないでください。

「結果が出ない」という学びがあること自体、報われている証拠だと思います。

 

迷った時こそ、冷静に。

そして「Cool 」に。

熱い人ほど燃え尽きます。

 

それではまた。