ツラいときこそあなた自身が愛になれ!
(映画『ハクソー・リッジ』の舞台にもなった沖縄県浦添市の前田高地にて)
こんにちは。
誰もが知っているモーツァルトやベートーベンのような天才作曲家は、音を色彩などの別な感覚によって捉えていたと言われています。
頭の中で一度視覚化しないかぎり、異なる周波帯の音を複雑に組み合わせることはものすごく難しいらしいのです。
これは「共感覚」と呼ばれているもので、実は我々のような一般の人にも備わっている脳の特性でもあります。
例えば、落ち込んでいるときに「心がブルー」とか、身体に激痛を感じたときに「電気が走った」などと言いますよね?
人間が他の動物と決定的に異なるところ、それはイメージの世界を情報空間の中に無限に広げられる能力を持っていることです。
「氣」の世界では、情報空間と、いまあなたが肌で感じている物理空間は連続性(つながり)があると考えます。
恋人にフラれたり、借金を背負ったりして脳内のセロトニン(ハッピーホルモンのひとつ)の量が減ってしまえば、クスリで分泌量を増やすことができます。
しかし、元恋人とヨリを戻したり、宝くじで高額当選をしたりすれば、クスリなしでもセロトニンの量は増えることでしょう。
要は、人との「関係性」や持っている「資産」というものも“情報”の一種であり、目に見えるようで目に見えない、手に取れるようで触れることのできないものによって、人の心は動かされているという紛れもない事実があるのです。
あなたが嬉しそうにしていれば、私も嬉しくなります。
あなたが哀しそうにしていれば、私も哀しくなってしまいます。
異なる“自我”を持っているもの同士でも共感してしまうのは、我々が宇宙と名付けられた広大な空間を共有するために生まれてきたからだと私は考えます。
誰かの幸せのために生きようと思えば、それは自分の幸せのために生きることにもなります。
誰かの幸せを願えば、それは自分の幸せを実現させる近道ともなるでしょう。
なぜなら、「幸せ」もまた「氣」という情報であり、情報は国際通話のように距離や時間に関係なく伝わるからなのです。
動物や花が好きでも、愛し合い憎しみ合う相手はなぜか人間です。
すべての解決を時間に任せるくらいなら、私は愛のある世界だけで生きていこうと考えます。
あなたはどうですか?
沖縄の戦地巡礼から帰ってきたいま、そんなことをひとり考えながらこのブログを書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ではまた。
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