真面目に生きることがバカバカしく感じてしまう理由
こんにちは!
松江です。
みんなが究極な“自己中”になれば、争いごとは起きなくなる。
これは、知人が最近SNSで書いていた言葉。
正直、「そうなんだよな」と思いました。
仕事や人間関係において、みんなが見返りや評価、報酬、名誉、地位とか求めたり、自分に足りないものを埋め合わせようとしたりするから、ややこしい“渦(うず)”が生じて、ちょっと気の弱い人たちが巻き込まれていくんですよね。
確かに、人は他人の役に立つことで幸せを感じる生き物です。
けれども、あらゆる好意、善行は投げっぱなしが基本だと私は思っています。
“伝わったかな”とか、“理解してくれたかな”みたいな「主観」が入った瞬間、それはもう迷惑なだけで、やらないほうがマシ。
それでも、人は基本的にお節介好き。
経済的、時間的、精神的自由を得た人が自分のためだけに生きても、つまらなさを感じてしまうのはそのせいだと言えます。
教育だって自分のためのようで、実は他人の幸せを考えるためにあるから、学校があり教師が存在しています。
自分のためだけなら、わざわざ学校に行く必要はないですよね?
学校は、受験のためや集団行動や空気を読むスキルを身に付けるために行くのではないと、親や教育する側の人間が教えるべきだと思っています。
真面目に生きるのは、他人の幸せを支えるためだけ。
自分に対しては、もっと力を抜いて流されるまま、面白おかしく不真面目でもいいのではないでしょうか?
真面目に学ぶ意味や理由、目的を教えられずに育ってしまった人ほど、理想というモンスターに苦しめられているような気がしています。
あなたも私も、見えない他人の好意や善行によって、いままで生きてこれたのは確かです。
しかも、それに対して何もペイしてないですよね?
つまり、我々の人生の大部分は、他人から“無償”の助けによって支えられているのです。
“生きる”とか“縁起”って、そういうことだと思います。
あなたはどう感じますか?
この記事が少しでも参考になれば幸いです。
それではまた。
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