組織においては、理念を優先した者だけが評価される
どんな企業や組織においても、“理念”というものがあると思います。
もし、理念がなければ、それは存在している意味がないことなのかもしれません。
理念とは、組織や個人の“社会的責任”とも言えます。
人は、他人との関係性の中でしか、自分を定義することが出来ません。
だから、自分は何者か?ということを説明する義務があると言ってもいいのでしょう。
企業やお店であろうと、スポーツチームであろうと、目的は同じです。
そうです、その分野で勝つことです。
勝ってこそ、そこに関わる個人の自己実現の道も開けるはずです。
組織に馴染めない、チームの中で浮いてしまっている。
それは、特に問題ではありません。
問題なのは、人としてあるべき理想の姿と、組織の中の人間としてあるべき理想の姿を混同してしまうことです。
例えば、会社においてトラブルが絶えない社員がいるとします。
上司が直接その社員と話し合いをする場合でも、フォーカスすべき点は、組織の中で求められる人間像です。
一個人としての人間像は、この際問題ではありません。
悩みの9割は人間関係から来ていると言われます。
実際は、ひも解いてみれば、ほとんどは性格の不一致だと思います。
組織においては性格よりも優先されるもの、それは成績です。
成績を残すことで、その組織の存続にも貢献できます。
しかし、それは個人の存在を軽視しているということではありません。
どんな組織でも初めはごく少数、もしくはたった一人でスタートしたはずです。
それがいまでも存続している理由を考えてみる。
そうすれば、“理念”というものがいかに大切であるかを、少しは理解出来るのではないでしょうか。
日本では、組織が人を育てるという考えがあります。
しかし、アメリカでは“育った人”しか雇わないというのが当たり前らしいのです。
結局、組織に依存しすぎることが一番危険なのかもしれません。
やはり、最後は個人の力量がものを言うのでしょう。
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