親友なんていらないと思ったとき、あなたの本当の人生が始まる
親友なんて百害あって一利なし。
最近、本気でそんなことを思ったりしています。
未来志向(思考)なときほど、会う人、話す人を「能動的」に選ぶべきだと痛感した出来事がありました。
あなたが親友だと思っている人が見ているのは、所詮「過去のあなた」であり、あなたの未来には無関心だったりするもの。
しかし、それは同時にあなた自身も親友(と思っている相手)を「過去の思い出」と共に見ているとも言えますよね。
20歳の誕生日が人生で一回しかないように、人は過去を生きることができません。
それでも、一ヶ月か二ヶ月前の中間テストや期末テストで成績が決まり、そして進路までもが制限されてしまうという生活になんの疑いも持たずに成人してしまった人間(私も含め)は「過去の奴隷」と言ってもおかしくありません。
(1)◯◯がないから、△△できない。
(2)◯◯があれば、△△できる。
過去思考の人には、上記の命題は成立します。
しかし、時間は未来から過去に流れていくという宇宙の秘密を知ってしまった人間は、原因は過去だけではなく、未来に作ることも可能であるということに気付くのです。
生命(いのち)とは、“情報”であると私は考えます。
情報には実体がないが故に、時間の概念を持つこともありません。
上位に存在する情報の写像が我々の肉体、つまり情報身体ということになります。
その情報に何を書き込むか?
それによって、人生はいくらでも書き換えることが可能であるというのが私の現時点での結論です。
過去にこだわりすぎれば、未来が不要になります。
他人にしか興味が持てない人は、自分自身が不要になります。
考え方が病気じみていれば、やがて肉体に病が降りてきます。
日々の生活や人生、心や身体の問題。
原因とか理由は、あなたが考えている「そこ」ではないかもしれません。
この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
それではまた。
(写真は、先月沖縄で撮影したものです)