少数派・多数派の選択なんてどうでもいい。共存の方法を考える人間こそ救われる。
こんにちは。
トロッコ問題、あるいはトローリー問題という倫理学の思考実験をご存知でしょうか?
目の前に二つの選択肢があります。
二つに枝分かれした線路、右側の線路上では5人が作業中でした。
反対側の線路には1人が作業中。
そこへ電車が5人が作業をしている右側の線路に向かって走ってきました。
あなたは向かってくる電車の方向を変えることができます。
このまま放っておいたら5人が轢かれてしまいます。
5人を助けるために1人を犠牲にすべきか。
あなたはどちらを選択しますか?
この先を読む前に、少しだけ目を閉じてあなたなりに考えてみてください。
答えは出ましたか?
実はこの思考実験においては、正解はありません。
当たり前ですよね。
人の命が関わっているのですから。
実際のところ、アメリカやロシア、日本における軍隊や自衛隊の幹部になるための試験ではこの問題に「どちらかを選択をする」という答えを出した瞬間、試験に落とされるようです。
ビジネスの世界ではどうでしょうか?
多分、どちらかを選択するのが当たり前と考えるのではないでしょうか。
コーチングでは、状況を限りなく上から俯瞰できる「抽象的思考」を身につけることが大切とされています。
しかし、これには危険がつきものです。
なぜなら、抽象度が上がれば上がるほど具体性に欠けるからです。
例えば、あなたがタマという名前の猫を飼っているとします。
タマはメスで年は3歳。
飼い始めたのは家の前で捨てられていた・・・
みたいに具体的な情報がタマには含まれています。
しかし、抽象度を上げてタマという存在を見ていくとどうなるのか?
タマ→猫→動物→哺乳類→生き物・・・
だんだんとタマの顔や性格が見えなくなっていきますよね?
つまり、抽象度を上げていくとそれに含まれる情報がどんどん減っていくのです。
これはあなた自身も同じこと。
大多数の一部になればなるほど、あなたという顔は見えなくなっていきます。
だからと言って、抽象的思考が悪いというわけではありません。
隣の人も、地球の裏側の人も同じ人間。
だから、誰にでも平等に接する。
平和はみんなが享受して当たり前。
お互いの価値観を尊重する。
そう考えられるようになるにも、やはり抽象的思考が必要になってくるのです。
私が住んでいる横浜の小学校では、福島から転校してきた子供が同級生からいじめられてお金まで取られるという事件が起きてしまいました。
ほんと、ここまでくると事件と言わざるを得ないと思います。
先日行われた平和を考えるコーチングイベントでも、ゲストで参加してくださった俳優の梅沢富美男さんがこの出来事について残念そうに語っておられました。
コーチングと教育は同意語だと私は考えています。
仲間、コミュニティ、家族。
身近なところから“全て”は始まります。
幸せ、平和、平等、笑顔、安心、安らぎ・・
それらが実現しても、地球にあなただけしかいなかったら意味がないですよね?
誰かがいるから笑顔にもなれるのです。
誰かがいるから安心もできるのです。
もし、人の笑顔、安心を邪魔する人間がいたら、その時は徹底的に戦うべきです。
黙っていてはいけません。
昨年、オバマ大統領が広島を訪問。
しかし、謝罪の言葉を聞くことはできませんでした。
歴史的な人物に名を連ねるチャンスを自ら潰してしまったようなものです。
一人ひとりの顔が見えないとは、まさにそういうこと。
政治に期待していては、真の平和は訪れません。
今のあなたは少数派でもなければ、多数派でもありません。
全ての橋渡しをする人。
私はそう信じています。
私はこのブログを、一人ひとりの顔を思い浮かべならが書いています。
常に読んでくださる人全員の幸せを願っています。
だから、あなたも身近な人の幸せを願ってください。
もちろん、あなたがあなた自身を満たすことも大切です。
全ては“一人”の行動から始まります。
それではまた。
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