苦は友を呼ぶ | 一生の友達を見つける方法
こんにちは。
私の実家は横浜にありますが、周辺はかなり高齢化が進んでいます。
中には、徘徊したまま行方不明になってしまったご老人の方もいます。
先日、ある不思議なことが起きました。
それは、近所に住む痴呆症のおばあさんが突然実家に訪ねてきたのです。
昔から付き合いがあり、私も子供のときに大変お世話になった方でもあります。
痴呆症の進み具合は重度ではないですが、軽度とも言えません。
その姿を見て私が思いついた言葉。
それは「孤独」です。
長いこと看護師をやられていた面影など全くありません。
孤独以外の言葉では形容出来ないくらい寂しい表情をされていました。
しかし、私はそのときに“あること”も同時に感じました。
それは、私の両親を含め私自身が「幸運」であるということです。
その孤独で痴呆症が進んでいるおばあさんを向かい入れることが、なんて幸せなことなんだろうと心の底から思えたのです。
貧困や病気よりも怖いもの。
それは「孤独」であると私は思っています。
実際に、長い期間孤独な状態に置かれると、身体的状態から推測された余命が14%ほど縮まるというデータがあるくらいです。
幸福と健康。
そこには切っても切れない関係があります。
幸福感の減少がストレスを増加させ、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を高めてしまいます。
その結果どうなるのかというと、高血圧、睡眠障害、うつ、免疫力の低下などを引き起こしてしまう可能性が高くなるのです。
私の幼なじみの友人に腎臓を悪くして働けない人がいます。
その友人は働けないことが最大のストレスと言っていますが、ルアー釣りのサークルを立ち上げたりと「人とのつながり」を切らさないようにしているので、決して不幸そうには見えません。
困っている時こそ、本当の友が見つかる。
私はそう思っています。
人は順調な時ほど利害関係や損得で動いているとも感じます。
しかし、順風満帆でレールの上を走っているときほど、そのレールの上以外の世界は見えないものです。
コーチングで言う「スコトーマ(心理的盲点)」ばかりな状態です。
レールから脱線してしまったとき、自分では何にも出来ないことに気付いたりもします。
そこで、身近な人間に「HELP」を求めるか?
それとも、役に立ちそうな人を新たに探し始めるか?
あなたなら、どちらを選びますでしょうか?
その選ばなかった方が、あなたの中にある心理的盲点であったりもします。
おわりに。
一生の友と、一生の師。
距離感こそ違えど、見つける方法は同じだと思います。
それは、自分が本当に困っている時、前に進めない状態の時、何をやっていいのか分らない時に自分を拒まず受け入れてくれた人を大事にするということです。
あなたのもとに困っている人が現れたときも同じです。
その人を大切に受け入れることです。
本当のつながり。
それは理由があってこそ生まれます。
つながりがなければ、それにも理由があるのです。
一生の友、一生のつながり。
それは奇跡や引き寄せの法則に頼らなくても作れます。
大切なことは、やり方ではなく、あなた自身の「あり方」。
それは、すべてを受け入れる「母性」とも言い換えられるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも拾えるところがあれば幸いです。
それではまた。
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