横浜ライフコーチング

時間は未来から過去に流れてゆく

年を取る怖さの克服方法は、自分を“いま感”で満たすこと

那覇にあるカフェの写真

人生に挑戦するのに、年齢なんて関係ない。そもそも、この世に時間なんてない。それは人間が勝手に作ったものだ。私は時計師だからそのことがよくわかる。

- フランク・ミュラー

 

目の前で、どんなに人生論や夢を語ろうと、旅の経験が少ない人の話はなんか薄すぎると感じるのは私だけでしょうか?

旅をすることのメリット、それは「感性の引き出し」が増えることだと私は思っています。

二十歳の旅の経験は、二十歳の頃の感性でしか話すことができず、それはどの年齢になっても同じ。

だから、仕事をリタイアした後のクルーズ旅行をジジババが語っても、若い世代になんも響かないのは当然のこと。

老いボブ・ディランがしわがれた声で『Like a rolling stone』を歌うのと訳が違うんですよね。

 

人生を過去の積み重ね、もしくは過去の積み重ねが人生と考えるか。

それとも、人生は未知なことの連続であると考えるのか?

 

過去の反対語、それは未来ではなく、“未知”ではないかと思います。

なぜなら、過去に生きた人にとって、つい昨日のことも未来だからです。

つまり、時間という概念はさほど重要ではなく、要はあなたがまだ見ていないことに触れてみる。

それこそが時間の流れという“宇宙の法則”に逆らわない自然な生き方なのかもしれません。

ブーゲンビリアの写真

“まじめな人は、真面目ジメジメ”

これは私が好きな斎藤一人さんの言葉です。

 

“喰うために生きるのか?それとも生きるために喰うのか?”っていう表現がありますよね。

一般的には“生きるために喰う”のが美徳とされていますが、人は喰っても動く保証なんてないので、“喰うために生きる”ほうが未来に向けて“現在活動中”という意味で正しいはずなんです。

 

夢や希望を語るほど、人は足が重くなっていきます。

それは、TRYしてこなかった過去の臨場感を高めてしまうからです。

人は臨場感の高い世界にしか生きられないというのが、現時点での認知科学の答えのようです。

 

歳を取ることを怖がる理由もそれと同じ。

“いま感”の薄さで窒息しそうなだけなのかもしれません。

行動できるのは、いま、いま、いま。 

 

さあ、現状を飛び出しましょう。

 

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親友なんていらないと思ったとき、あなたの本当の人生が始まる

沖縄にあるパワースポットの写真

古いか新しいかなんて
まぬけな者たちの言い草だった
俺か俺じゃねえかで ただ命がけだった

♫『西新宿の親父の唄』長渕剛

 

親友なんて百害あって一利なし。

最近、本気でそんなことを思ったりしています。

未来志向(思考)なときほど、会う人、話す人を「能動的」に選ぶべきだと痛感した出来事がありました。

 

あなたが親友だと思っている人が見ているのは、所詮「過去のあなた」であり、あなたの未来には無関心だったりするもの。

しかし、それは同時にあなた自身も親友(と思っている相手)を「過去の思い出」と共に見ているとも言えますよね。

 

20歳の誕生日が人生で一回しかないように、人は過去を生きることができません。

それでも、一ヶ月か二ヶ月前の中間テストや期末テストで成績が決まり、そして進路までもが制限されてしまうという生活になんの疑いも持たずに成人してしまった人間(私も含め)は「過去の奴隷」と言ってもおかしくありません。

 

(1)◯◯がないから、△△できない。

(2)◯◯があれば、△△できる。

 

過去思考の人には、上記の命題は成立します。

しかし、時間は未来から過去に流れていくという宇宙の秘密を知ってしまった人間は、原因は過去だけではなく、未来に作ることも可能であるということに気付くのです。

ニライカナイ橋の写真

生命(いのち)とは、“情報”であると私は考えます。

情報には実体がないが故に、時間の概念を持つこともありません。

上位に存在する情報の写像が我々の肉体、つまり情報身体ということになります。

その情報に何を書き込むか?

それによって、人生はいくらでも書き換えることが可能であるというのが私の現時点での結論です。

 

過去にこだわりすぎれば、未来が不要になります。

他人にしか興味が持てない人は、自分自身が不要になります。

考え方が病気じみていれば、やがて肉体に病が降りてきます。

 

日々の生活や人生、心や身体の問題。

原因とか理由は、あなたが考えている「そこ」ではないかもしれません。

 

この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。

それではまた。

(写真は、先月沖縄で撮影したものです)

苦しい選択を自分に強いれば、その後の人生もツラくなる。

沖縄にある橋の写真

人生という試合で最も重要なのは、休憩時間の得点である。

- ナポレオン・ボナパルト

 

こんにちは!松江です。

久しぶりの記事になりました。目を通していただけることに感謝致します。

 

これは私が高校生のときの話。

高三の夏に予備校の夏期講習に通っていたのですが、あまりのハイレベルな内容に着いていけず途中で挫折。

今でも、当時どんな勉強をしていたのか全く思い出せないのですが、唯一記憶に残っていることがあります。

それは、レギュラーの講師が欠勤したときのこと。

臨時の先生が代わりに授業をやってくれたのですが、名前も知らないその先生が男性なのか?それとも女性なのか?最後まで分からなかったんですよね。

顔も体型も声も服装も中性的。

授業中、「この講師は男性なのか?それとも女性なのか?」ずっと考えていたことだけをよく覚えています。

 

当時は、トランスジェンダーという言葉も一般的ではありませんでした。

なぜ、冒頭にこの話を書いたかというと、性同一性障害を抱えた小学校教師について取り上げたニュースを見ていて、ふと思ったんですよね。

それは、「カミングアウトって絶対に必要なの?」ってことです。 

誤解を恐れずに言えば、どんな環境においても他者からすれば、その人が男性なのか女性なのかトランスジェンダーなのかどっちでもいいじゃんってこと。

 

性別の問題に限らず、日本では当たり前のように多くの人が自分自身に“苦しい選択”を強いてるような気がしています。 

誰にでも、生きていく上で選択を迫られる場面はあるはずです。

しかし、選択をしないことも「選択肢のひとつ」であることを忘れてはいけないような気がしています。

 

人生、ツラいツラいって思ってる人は、考え方が“ツラい”のではないでしょうか?

手放す、見ない、追わない、こだわらない。

ココロと身体がラクになる瞬間って、いつもそんなときなんですよね。

 

考え方が病んでいれば、身体も病むという現象が必ず起きます。

現実は常にマインド相応です。

自分に厳しくすることも多少は必要かもしれません。

しかし、自分自身と“親切に”向き合うことはもっと大切です。

 

この記事が少しでも参考になれば幸いです。

それではまた。

山の頂上に立つ人の写真

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真面目に生きることがバカバカしく感じてしまう理由

台湾料理店の外観の写真

人間というのは、いつも真面目に働き、楽しみや安らぎをまったく味あわずにいると、いつの間にか心を病んでしまう。

- ヘロドトス古代ギリシャの歴史家)

 

こんにちは!

松江です。

 

みんなが究極な“自己中”になれば、争いごとは起きなくなる。

これは、知人が最近SNSで書いていた言葉。

正直、「そうなんだよな」と思いました。

仕事や人間関係において、みんなが見返りや評価、報酬、名誉、地位とか求めたり、自分に足りないものを埋め合わせようとしたりするから、ややこしい“渦(うず)”が生じて、ちょっと気の弱い人たちが巻き込まれていくんですよね。

 

確かに、人は他人の役に立つことで幸せを感じる生き物です。

けれども、あらゆる好意、善行は投げっぱなしが基本だと私は思っています。

“伝わったかな”とか、“理解してくれたかな”みたいな「主観」が入った瞬間、それはもう迷惑なだけで、やらないほうがマシ。

それでも、人は基本的にお節介好き。

経済的、時間的、精神的自由を得た人が自分のためだけに生きても、つまらなさを感じてしまうのはそのせいだと言えます。

 

教育だって自分のためのようで、実は他人の幸せを考えるためにあるから、学校があり教師が存在しています。

自分のためだけなら、わざわざ学校に行く必要はないですよね?

学校は、受験のためや集団行動や空気を読むスキルを身に付けるために行くのではないと、親や教育する側の人間が教えるべきだと思っています。

 

真面目に生きるのは、他人の幸せを支えるためだけ。

自分に対しては、もっと力を抜いて流されるまま、面白おかしく不真面目でもいいのではないでしょうか?

真面目に学ぶ意味や理由、目的を教えられずに育ってしまった人ほど、理想というモンスターに苦しめられているような気がしています。

 

あなたも私も、見えない他人の好意や善行によって、いままで生きてこれたのは確かです。

しかも、それに対して何もペイしてないですよね?

つまり、我々の人生の大部分は、他人から“無償”の助けによって支えられているのです。

 

“生きる”とか“縁起”って、そういうことだと思います。

あなたはどう感じますか?

 

この記事が少しでも参考になれば幸いです。

それではまた。

山の頂きにたたずむ人たちの写真

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希望や解決を求め続ける人をバカと呼ぶ

米軍基地にあるホテルの写真

ばかの愚かな行いは、いつも、知恵者の砥石になるものですわ。

- シェイクスピア『お気に召すまま』より

 

こんにちは!

 

最近、自分よりはるかに若い人たちと接していて思うことは、みんな“自信のなさ”が溢れ出ていること。

これって、結構ヤバいと思います。

なぜなら、短い人生の中の、限られた価値観の範囲のみで自分を判断してしまっているから。

けど、それぞれの人の話を聞いてみれば、みんなこっちが羨むくらいの面白い生き方してるんですよね。

 

人って自信を失えば、次に取る行動はみな同じ。

それは、誰か(もしくは組織)の手下になること。

それで対価を得ることを否定する気は毛頭ないけど、不安をベースに生きてるうちは、絶対に創造的な人生は送れません。

脳は常に不安を感じている状態だと、扁桃体が活性化してIQが下がるようになっています。

しかも、扁桃体優位が続くと、今度はメンタルがヤラレていってしまいます。

 

いまだに、コツコツ頑張って生きれば、いいことあると思って生きてる人ばかりですが、もうやめましょうよって思います。

ちょっと前の日本は、“欲しがりません、勝つまでは”の精神を貫かされて、みんなダマされてたわけですよね?

 

現実に理想もクソもなくて、子供がなんの先入観もなしに絵を描くように、大人だってまっさらなキャンバスに自分の世界を思うように書いていけばいいだけのこと。

なぜ、多くの人がそれを出来ないのかと言えば、十代の頃から世界を疑うということを教えられてこなかったから。

 

一方的に情報を詰め込まされて育って、それが大人になって死ぬまで続いてるわけですよね?

そこから抜け出す方法は、意外と簡単で、情報を発信する側に立てばいいだけのこと。

表から見ていた世界を、違う角度から見れるようになって、盲点に隠れていた自分の本当の姿さえも見えてくるものです。

 

希望や理想は無限です。

現状から抜け出すための方法論の数も無限です。

大事なことは、未来と現在には時間的、空間的な“距離”がないということ。

 

結局、今できないことは、未来もできません。

本当にやりたいこと。本当に解決したいこと。

それらも、いま手を付けていなければ、本当に心から望んでいないことだと思います。

 

未来の伏線はこの瞬間にあります。

思考という盾を捨てて、すぐに行動を起こしてみてください。

変化は驚くほどすぐに出るはずです。

 

山頂に立つ人の写真

 

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