答えは自分の中にはない。あるのは決定権だけ。
こんにちは。
勉強することは自分の無知を徐々に発見していく事である。
-ウィリアム・C・デュラント(GM社の創業者)
不安や怒り、後悔、傲慢、横柄、わがまま、不満、怠惰、虚勢・・・
周りを不快にさせる人の状態や態度。
自分の行動を抑制するマインド。
それらの根源をたどっていくと最後に見つかるもの。
それは「無知」ではないでしょうか?
どんなに社会的に成功している人でさえ心理的盲点は存在します。
むしろ社会的に注目される人ほど“見えない”ことがたくさんあるもの事実です。
それは政治の舞台に出ている人たちを見ても分かることです。
どんなところにも答えは存在しない。
それがある意味“答え”なのかもしれません。
しかし、答えを追い求めることが行動の原動力になることも確かです。
では、なぜ人はいつの時代も答えを探し求め続けるのでしょうか?
それは、多くの人が常に“あるもの”を求めているからだと思います。
その“あるもの”とは「安心」です。
プラシーボこそが特効薬。
これは、どんなにたくさんの薬を投与する医師でさえも否定出来ない事実です。
病気の人、体の不調を訴える人が欲しいものも「安心」です。
それに加えて「勇気」を与えることが出来る人こそが理想の医師とも言えます。
安心を求めるが故に答え探しが終わらない。
だったら、安心を与える側になればいいのだけのこと。
人の脳は「自他」を区別しないと言われています。
誰かを喜ばせれば、自分を喜ばせたと脳は思い込みます。
だから誰かを安心させれば、それは自分を安心させた事にもなるのです。
(※脳の働きについてはまだ解明されていないことが多く、ほとんどのことが仮説段階であるという事実もあります)
人間のエネルギーは注意を向けた方に注がれます。
自分のことだけばかり考えていると疲れてしまうのも当然。
自分の突破口を自力で見つけることなんてほぼ不可能です。
なぜなら、他人との関係性の中でしか自分を定義することはできないからです。
それでも、自分の中に答えを探そうとするかはあなた次第です。
迷ったときこそ、考えない。
これがいざという時の原動力だったりもします。
少しでも拾えるところがあれば幸いです。
それではまた。
お問い合わせ、ご質問はお気軽に!
yoshihikomatsue◎gmail.com
◎を@に置き換えてください