大切なものほど目に見えない本当の理由
幸せとは、
視野の広い深遠な知識を持つことです。
その知識とは、嘘と真実、
低俗なものと高尚なものを見分ける力です。
努力や苦労を積み重ねれば大切なものが、そのうち見えてくる。
もしかしたら、あなたはそう思い込んでいませんか?
見えるというのは、認識することを意味します。
もし、目に入っても知らないものは頭の中を素通りしていきます。
これは、脳のRAS(網様体賦活系)というフィルターシステムがその人に必要な情報を選別しているからです。
だから、いくら苦労や努力を積み重ねても、知識を身に付け視野を広げることもしないと本当に大切なものは永遠に可視化されることはないのです。
これが欲しい。
これを目指したい。
こんな仕事に就いてみたい。
こんな生き方がしたい。
あの人みたいになりたい。
人がそんな風に思うのは、どういう時だと思いますか?
それは、未知だったことを知ってしまった時です。
しかも、他人と自分を比較することによって、欲しいもの、やりたいことって大体決まるものなのです。
そうすると、さらに起こること。
それは、今まで認識していたことが目に入らなくなるのです。
本当に大事だったこと。
まず初めに手を付けるべきだったこと。
初心。
恩。
守るべきもの。
自分にとって大切な存在。
などなど・・
ワクワクすることは大切です。
けれども、本当にワクワクすることって他人と自分を比較して見つかるものなんかではありません。
身近なところで自分が求めていたヒントを見つけた時、人は本当のワクワク感を覚えるものなのです。
つまり、本当に大切なものはすでに目に入っているはずです。
けれども、認識出来ていないだけなのです。
大切なものを認識出来るようになるために必要なこと。
それは、最初に挙げたヘレン・ケラーの言葉の中に書かれています。
自分を磨きせず、低俗なものばかり追い求める人を「おバカさん」と言うのかもしれません。
馬鹿につける薬はないという言葉があります。
だったら馬鹿になる前に予防しておけばいいだけのこと。
その特効薬こそが、広い視野。
つまり、抽象的思考ではないでしょうか。
少しでも拾えるところがあれば幸いです。
それではまた。
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