釣り合いの法則~言葉は現実を写す鏡である
他人との関係性の中でしか、言葉は意味を持たないと私は常々感じています。
「おーい」と大きな声を発したとしても、発話状況によりその一言が色々な意味を持つようになるものです。
誰かを呼んでいるのか?
ミスを犯した相手を責めているのか?
感嘆の意味を込めた相手へのリスペクトなのか?
だから、英語を習得するときも“正しい”文脈や文法なんてものは初めから存在していないと考えるほうが意外と楽に会話力が身に付いたりするものです。
ましてや、言葉自体にも“決まった(特定の)”意味はないと学校で教えるべきなのかもしれません。
“言霊”と言われるように、日本では昔から言葉の力を信仰する風潮があります。
しかし、それは言葉が持つ「エネルギー」のことであって、言葉の「意味の強さ」を示すものではありません。
毒を吐く人は、その吐いた言葉自体に悪意があるのではなく、その人の心が初めから悪意という毒に冒されていると表現したほうが適切だと思います。
言葉には決まった意味を持たないと言いつつも、私は細心の注意を払って言葉を選びながら会話し、文章を書く習慣を身に付けています。
よく、思考は現実化すると言われますが、吐いた言葉はすでに現実化しているのです。
私はこれを「釣り合いの法則」と呼んでいます。
いつも“◯◯がしたい”という願望癖がある人は、常に「何もしていない」という現実を身にまとっています。
いつもお金がないと言ってる人は、お金を稼ぐ方法よりも、お金がない自分が似合う環境や相手を選ぶ傾向があります。
言葉は現実の写像です。
現実に意味や価値があり、言葉は道具にすぎないのです。
あなたが傷ついた言葉。
それもあなたが気付いていなかった心の隅にある現実を見せているのかもしれません。
言葉に写った自分自身の状況をもっと意識に上げること。
それが言葉の呪縛から逃げられる一番簡単な方法だと私は考えています。
この記事が少しでもあなたのお役に立てれば幸いです。
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それではまた。
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