アンチは愛すべき存在。向き合い方で未来が決まる。
私がなんの恐れも抱かず、微笑してみせれば味方になる。
- アラン(フランスの詩人)
こんにちは。
元々、私は海外ではそこそこ知名度のある語学教材を販売する仕事をしていました。
ビジネス雑誌や日経新聞に広告を出していたこともあり、英語学習のうんちくを長々と
垂れるオジさんとか現れるわけですよ。
そんなときの対処方法は簡単で、“じゃあ、私と英語で会話しましょうか?”と返せば、一発で退散です。
アンチを黙らせる方法。それはいたって簡単です。
◯◯はやめたほうがいい・・・
◯◯は、あなたでは無理・・・
◯◯って商売になるの?
◯◯に賭ける価値ってあるの?
そう言われたら、“〜さんは、◯◯したことがあるんですか?”と華麗に返してあげれば、相手もハッと気付くはずです。
けれども、アンチがいることには、とてもとても深い意味があります。
誰かの行動に対して、“やめたほうがいい”と思うのは当然のこと。
人には“ミラーニューロン”といって、誰かが“痛み”を感じれば、あたかも自分が痛がっているように感じてしまう神経細胞を持っています。
だから、大げさに言えばアンチは“親心”なのかもしれません。
しかも、アンチに対する自分のスタンスも、その日の感情によって左右されるわけです。
“いつも自分は試されている”と思えば、アンチは自分を映す鏡とも言えるのではないでしょうか?
人は他人との関係性の中でしか、自分を定義することはできません。
“人気がある”、“売れている”ことを証明するためには、他人にそのことを語ってもらわなければなりません。
“自分がやっていることは正しい”それを証明するためには、間違った行動をしている他人の存在が必要です。
つまり人って、一方がいるから、片方もいる。
自分と反対を向いている人がいるから“左右”が存在する。
あげる人がいるから、貰う人がいる。
全部、陰と陽の存在みたいに最低二種類存在していないと、人として成り立たないようになっています。
だから、アンチやドリームキラーが現れたときは、自分のポジションを再確認できるいいチャンスだと思いますよ。
少しでも拾えるところがあれば幸いです。
それではまた。
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