未来の自分を信じない者だけが生き残る
未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的な形はないと思う。
(中略)
言論の自由とか、自由の問題はこの一点にしかない。未来の自由のためにいま暴力を使うとか、未来の自由のためにいま不自由を忍ぶなんていうのは、ぼくは認めない。「欲しがりません勝つまでは」などどいう言葉には、とうの昔に懲りたはずじゃないか。
(三島由紀夫『若きサムライのために』)
いま、できないことは未来もできない。
これって、真実だと思っています。
いま、死んでもいいと思ってる人が10年後の死を語れば真実味があります。
いま、筋トレをやっている人が3年後にボディビルの大会で優勝すると宣言すれば私は心の底から応援します。
人のこころ(マインド)は自分の満たされない部分を“他のもの”で補おうとします。
現在が満たされていない人は、未来or過去を都合のいいように引っ張りだします。
ゴールを持つことは大切です。
しかし、ゴールを持った途端それが現実化するというリスクを背負う覚悟も必要です。
未来は“自分相応”のかたちでやってきます。
人は常に自分相応、つまり等身大でしか生きられません。
いまのかたちがそのまま未来のかたちでもあります。
だからこそ、“いま”という瞬間を望む未来のように生きる必要があるのです。
未来に約束できること。
それは自分の“老い”だけです。
それ以外は不確実です。
だからこそ、“いま”という自分の意思で動ける時間を大切にすべきだと思います。
少しでも拾えるところがあれば幸いです。
それではまた。
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