人から嫌われずに他力本願を上手に利用する方法
こんにちは。
真剣で真面目な行動と、そうでない行動。
その違いは何だと思いますか?
私はその行動に「何かのため」という補語が入るか入らないかの違いだと思っています。
家族のため。恋人のため。友人のため。
知人のため。顧客のため。従業員のため。
これらは「自分以外の人」のためですよね。
ペットもこれに含まれるのでしょう。
生活のため。将来のため。名声のため。
快楽のため。目標達成のため。安心のため。
これらは抽象的ですが、「自分のため」とも言えます。
他人任せで自分では何もしないことを「他力本願」と言ったりします。
もともとは仏教からきた言葉で、阿弥陀仏に委ねるという意味があるそうです。
内閣府が公開している『日本人の幸福度に関する分析』には、とても興味深いグラフが載っています。
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/10_pdf/01_honpen/pdf/08sh_0103_02.pdf
そのグラフを見ると、日本人の幸福度は歳をとっていくほど下がるということが一目でわかります。
逆に、アメリカ人の幸福度は歳を重ねるごとに上がっていきます。
なぜ、日本人の幸福度は歳を重ねるごとに低くなっていくのか?
その原因の一つとして、周囲との接触頻度が少ないことが挙げられます。
つまり、孤独を感じることで幸福度が下がっていくのです。
これは高齢者だけの問題ではないと思います。
他人に「委ねる」ということに躊躇してしまいがちな、我々日本人全員が直面している問題だと言えるのではないでしょうか?
自分勝手は嫌われます。
逆に、他人想いも度を過ぎると、主体性がないと疎ましく思われてしまいます。
私がサラリーマン時代によく感じていたこと。
それは、
なぜみんな、これほどまでに自分の「必要性」をアピールするのか?
ということです。
言葉にしなくても、多くの人が「私って必要ですよね?」とアピールしながら毎月給料をもらいます。
そんな人ほど、「不要」の烙印を押されてしまうと病んでしまったりするものです。
結局、多くの人が「必要性」を売りに他力本願の人生を歩んでいるのです。
それは、他人想いでもあり、自分勝手でもあると言えるのではないでしょうか。
私は得るものを度外視して、与えるものだけに集中する「ギブ&ギブ」の精神こそ、これからの時代に生き残っていく最低条件だと本気で考えています。
いい加減、Giveの対価はTakeではないということを学校でも教えるべきだと思っています。
なぜなら、「ギブ&テイク」の世界は、自分だけ良ければいいと考える人間を多く生み出してしまうからです。
与えることに徹する。
モノでも情報でも労力でも時間でもなんでもいいのです。
勝手に受け取ってもらい、そのあとの判断も相手に委ねる。
それこそが究極の「他力本願」ではないでしょうか。
最後に。
私は人間関係で悩んでいる人には、このようにアドバイスします。
「自分が望む世界の人とつながる」
「とにかく、与える側に立つ」
自分が望む世界とは、コーチングでいうゴール側の世界のことです。
エフィカシー(自分の能力に対する自己評価)のレベルが高い人同士で交わされる情報には価値がつけられません。
なぜなら、あまりにも有益すぎるからです。
それにもかかわらず、そういう場では誰も情報を出し惜しみしません。
情報が欲しければ、誰かにお願いするだけ。
まさに「他力本願」が通用する世界です。
他人が得たものに興味があるから人は嫉妬します。
他力本願という言葉の対象が阿弥陀仏から人間に変わったのは、人々の関心が「見えるもの」に集まるようになったからなのかもしれません。
歳をとっても「自分のため病」から抜け出せない人がたくさんいます。
そんな人はいつも不満だらけです。
不満だらけの人は、周囲から嫌われいずれ孤独になります。
孤独な時間は必要。
けれども、ほどほどにするのが賢明です。
「自分のため」を優先しない。
それこそが最後に自分のためになるのです。
それではまた。